21年度講演
役職者講義2回目
6月20日に2回目の役職者講義がありました。
当未来塾の師範であり、東亜薬品株式会社社長の中井 敏郎(なかい としろう)氏の講義です。

東亜薬品株式会社は昭和15年に医薬品製造・販売・開発会社として設立されました。
昨年富山県の企業グランプリ(技術部門)を受賞しています。今年の6月には婦中町に約40億円をかけて西本郷工場第二製剤棟を建設・竣工した、石井知事いわく「富山県を薬都にするぞ」の一翼を担う医薬品製造会社です。
現在はそんな大企業に成長した東亜薬品株式会社も、13年前にはマイナス1億の会社を子会社化したまではよかったのですが、予測どおりに売り上げが上がらず返品の山。当時の中井社長は不安でこのままだったら鬱になると思ったとか。
その時、この話を聴いてはっとした、といいます。
今回のテーマ「底なし釣瓶(つるべ)で水を汲(く)む」です。
※釣瓶とは井戸の水を汲む際に使用する手桶(ておけ) のこと サイズはバケツ位でこの場合は木製
「昔、あるところに長者がいたが残念なことに子供がいなかった。
そこで養子をとることにした。
よびかけてみたところたくさんの人が集まった。
そこで長者は集まった者たちに「この釣瓶で水を汲み、あの樽を一杯にしてみよ」と底のない釣瓶と五斗樽(約90L)をわたした。
できるはずがないとみなが汲むことをあきらめるなかで、ある青年だけが釣瓶のふちに滴(しずく)のようにたれる水を一滴二滴と汲みづづけ、一昼夜かかって樽を満杯にした。
長者はこの青年を養子にむかえ、この家はその後も長く繁盛したという」
という昔話です。
底のないもので水を汲むことはできない。しかしこの青年はそれをした。それが長者の心をうった。
「ありえないことを一生懸命やって達成するのは大変なことである。が、底のない釣瓶で水を汲むことを思えば何でもない。東亜薬品株式会社も2~3年前に業績が上がりだし、今では売上高108億円までになった。」
言葉いうのは簡単だが、死ぬ気でやると必ずうまくいくという例えだ と社長はいいます。

その後話題は、富山県にうつりました。
「富山県で商売をしようというのに富山のことを知らない人が多い」といわれ、「この中で富山藩の初代藩主が誰だか知っている人はいますか?」と尋ねられましたが、塾生は誰も手をあげませんでした。
「よその県できいてごらんなさい。皆さん自分の県の歴史として初代藩主が誰だか知っていますよ」とも。
中井社長がおっしゃった、富山藩の歴史を簡単に説明させていただきます。
富山藩初代藩主の名前は前田利次(まえだとしつぐ)といいます。加賀藩の二代目藩主前田利常(まえだとしつね)の子供で次男坊です。加賀藩の支藩であり、石高は10万石でした。
二代目の正甫(まさとし)は越中売薬の基礎を築いた人です。
その後、越中前田家の統治は13代、明治の廃藩置県まで続きます。富山藩の実際の石高は14~20万石ほどあったようですが、常願寺川や神通川などの河川が常に暴れ、治水などにお金がかかり、結果として常に貧しい藩でした。
富山県人の気質であるまじめでよく働き、勤勉であり、忍耐力がある。謙譲の美徳をわすれない。というのはそうした富山の歴史が作った独自の文化です。しかし、長所と短所は紙一重というように、新しいビシネスを起こすときはこの文化が足をひっぱります。
「起業するときには、人と違うことをしなければいけないのだがそれをいやがる。また、先にやることをいやがったり、こわがったりする」「商売は最初にやらないとうまくいかない。それには一番先にやるという勇気をもつこと」
とは、富山県で起業する予定の未来塾の塾生にあてた中井社長の言葉です。
社長はあらゆるいろいろな人と大勢出会い、見てきた中で「カンというのか、顔を見て成功するか、しないかわかる」 とおっしゃっていました。そしてビジネスの基本にしているこのカンというもの。そして運・縁というものを身につけることが大切だとも。
その方法としては「この中であいつだけには負けたくないという気持ち(ライバル心)をもつこと。ライバル心がないと商売はなりたたない」とのことでした。
いろいろなところに話がおよび、ためになる50分でした。中井社長お忙しい中ありがとうございました。






